戸倉がお届けするおやすみ工房のブログ、「金曜日の日記」更新しました。
ご覧ください!。
昨夜はこちらでテーマを定めて「月が割れそう」が生まれました。
この「月が割れそう」については出演者のりかの代表的な曲であること、来月10月6日に「りかの時間」というCDアルバムをリリースすることは他でも触れているのでここではこれ以上書きません。
しかしこの企画は面白い。
アルバムをリリースする出演者のりかをクローズアップするやり方としては最高の企画だと思う。
それともう1つ、このおやすみ工房の一年を締めくくる曲となるのにも相応しい企画だと思う。
上手くりかのアルバムリリースとおやすみ工房の一周年が重なってくれた。
さて、このおやすみ工房で生まれた「月が割れそう」。
木村菜緒が中心になって書いたのだが、やはり彼らしい内容の歌詞になった。
途中で出てくる、
『全く別の地平から見ている』
この言葉がいい!
これは今年ある大臣が放った最も失礼な言葉。
呆れられた方も多いと思う。
この言葉を取り入れるところが木村菜緒だ。
しかしこの歌詞、
『満ち欠け忘れ月は丸いまま』
確かに月が月が満ち欠けしていることなどどうでもいい時代になっている。
『明かりが増える星が淡くなる』
確かに都会の中で空を見ると星が少ないことに気づく。
『夜空の明かりに頼る民は消え』
確かに月の明かりで本を読んでいた人など忘れ去られている。
『全く別の地平から見ている民が夜空を消してく』
確かに街を明るくしてこの空の星を消しているのは私たちだ。
全く別の地平から住んでいる所を見つめている私たちだ。
『それでも笑える民に欠けた月など映らぬ現実』
確かにそれでも笑っている。
そう、全て笑いに変えて世の中にオチを付けて見ている私たちだ。
そして現実を見ようとしない私たちだ。
『消えてく月が流れる星に願う』
月もこの地球を見てうんざりしてるだろう。
流れる星が願いを叶えると勝手に決めた私たちがその星を淡くして見えなくしている。
『夜が夜になれ』
そう。
今は夜が夜でない。
周り続けて地球を見ている月は照らす明かりを届ける場所が分からなくなっているのだろう。
『月が割れそう』
りかの言葉ではないが「なるほど」だ。
これでおやすみ工房の一年は締めくくられた。
この一年で生まれたセレナーデは40曲。
40曲目に相応しいセレナーデとなった。
そして二年目を迎えようとしているおやすみ工房。
一言だ。
「続けよう!」
私たちはおやすみ工房をなんとか広めようとはしているがこの番組を作り上げているのは、りか、天埜めぐみ、木村菜緒の三人だ。
私たちはこのセレナーデが生まれる瞬間を見てきたがそこは全く別の地平からだ。
やはりこの三人の力だけで生まれてきたセレナーデだ。
そしてこの三人を手助けしてくれているのはワードを送って下さったリスナーの方々。
この方々は全く別の地平からではなく、同じ地平で一緒にセレナーデを作られたと思う。
自分の言葉が歌になる。
素敵なことだと思う。
二年目を迎えるおやすみ工房で皆様も同じ地平で一緒にセレナーデを作ってください。
それがおやすみ工房に携わっている私たちの願いです。
二年目を迎えるおやすみ工房をよろしくお願い致します。
戸倉
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